創作の模索の最近のブログ記事

なんか

文体とか

ノリからして

凄いって

思うんだよね

アタシもさ

マジこんなノリで

AS完結できたらとか

思うんだよね

みたいな


http://mandanatsusin.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-cb70.html

6万5000以上の動物の鳴き声を聞くことができる「Macaulay Library Catalog」 (GIGAZINE)

すばらしいデータベースです。ウチのようなサイトにはまさに恵みですね。
これだけの種類となると、犬、猫、馬、といった大まかな種類だけでなく、より細かいそれぞれの種について詳しく調べられると思います。

死の扱い方

エマ
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ゲーム評論不在の日本で,評論の場を興す試み。GLOCOMのRGN(4Gamer)

なかなか面白いです。第一回目は死の扱いについてですが、これはゲームに限らず、あらゆる創作に共通するテーマですね。
続編を見越したり表現の制約上、陳腐な(真に迫っていない、ご都合主義な)死の描き方・死に対する仲間の反応の描き方など、そうなってしまうのには幾つかのパターンが挙げられると思います。
列挙してみましょうか。

良くあるパターン
・今作では死んでも、続編ではパラレルワールドという事で生きている。
・死ぬ必然性がないのにシナリオを盛り上げる為にとりあえずキャラを死なせる。
・絶対に死ぬような危険な状態なのに、メインキャラだけピンチを切り抜け、他のキャラは死んでいく。
・もうすぐ死んでしまうキャラが仲間の腕の中で延々と喋り続ける。
・仲間が死んだその時は大泣きするが、その後はすっかりソイツの存在を微塵も思い出すこともなく、無視してストーリーが進む。
・死に方に悲惨さがない。お芝居みたいな死に方。殺され方。見た目的・心情的にも綺麗すぎる死に方。死の匂いが感じられない死に方。
・大けがをしても、みんなすぐに治って傷跡も残らない。
・重要なメインキャラが死にかけているのを助けるため、それほど重要でないキャラが自らを生け贄にして、その結果メインキャラが助かる(そのメインキャラを死にかけさせる理由がただのお涙頂戴だった可能性有り)。

最悪パターン
・単にプレーヤーに衝撃やお涙ちょうだいしたい為にキャラを殺し(或いはそのように見せ)、その後無理矢理な理由をつけて復活させてしまう。

これらのパターンでも、上手くやれば不味い結果にはならないでしょうが・・・。一つの指針としては、「盛り上げるため、お涙頂戴のため」に殺そうとすると、後々ストーリーの質が落ちていく気がします。
キャラクターの死って、やはりストーリーの流れに多大な影響を及ぼすんですよね。キャラクターの死ありきではなく、まずストーリーの流れから、死ぬべきキャラクター、その死に方を考えてみた方が良いんじゃないでしょうか。

 昨日の記事にてWikipediaの「銃器」へのリンクを張ったのを良いきっかけに、エマステ戦い物作品における銃とその他の武器とのバランスについて考えてみます。

 常識的に考えてみても分かるとおり、銃器の殺傷力・有効範囲・連発性能はともに刀剣や弓矢の類の比ではありません。現在の戦争ではごく限られた状況を除き、刀剣類などの武器は完全に淘汰されています。

 ウチの作品では「死の先」を始めリアル系の戦闘描写を志向している物が多く、しかも時代設定は現代です。そこで上記の事を突き詰めていくと困ったことになります。
 敵の制圧能力を考えれば、味方(守護天使側)と敵(呪詛悪魔)双方が全員銃器による武装をした方が理に適ってしまうわけです。もちろん熟練したキャラクターならば旧来の近接武器でも相応の強さを得るかもしれませんが、同じ習熟するのならば旧来の近接武器よりも銃器に習熟した方が圧倒的にそのキャラクターは強くなります。

 もちろん、うちらの作品では守護天使や呪詛悪魔に「魔法」的な特殊能力もあるわけで、そういう事を考えると全部銃器というのはあまりに味気なく、できれば「近接武器」「(ファンタジー的な)特殊能力」「銃器」の量のバランスを取れれば素敵です。

 そこらへん、テレビゲームなどの作品では長距離射程は銃器、攻撃力大なのは「近接武器」とパラメータを恣意的に決める事でうまくバランスを調整する事が出来ます。
 しかし小説だとどうでしょう。リアルな描写・考証を目指すほど、三つのバランスを(誰が読んでも納得の行くように)取るのが難しい訳です。その道のプロ(?)から見ても、素人から見ても、「特殊能力」はともかく、「近接武器」と「銃器」では後者の方があらゆる点で強いに決まっています。

 さぁ、どうすれば良いでしょうか。私が考えてみた案は次。

・呪詛悪魔&守護天使双方、銃殺が死因の者が多いので使いたがらない者が多い。
 天界側では、各機関に「乱用するべからず」と通達できるかもしれませんが、呪詛悪魔側だと好き勝手に使い出す奴がやはり大勢居そうです。有効そうだけど、これだけだとまだちょっと苦しいな。

銃を使いづらい状況が多いという事にする。
 呪詛悪魔も街に身を潜ませていたりするかもしれませんし。特に天界側にしてみれば、へたに銃撃戦などやれば人間界側の無用な混乱、自分たちの存在が公になる危険性があるので、避けたがる。という事は考えられます。
 でも呪詛悪魔側はんなこと知ったことか的な奴も多そうですし、これだけだと理由としてはやはり苦しい・・・。

銃よりも近接戦闘が有利になりそうなシーンだけを書く。
 「あ、このシチュだとやっぱ銃の方が強くない?」
 「そうだよな。また書き直しか!」
 ・・・・下らんことに縛られたくもないですね。

「はっきり言って、殺傷力なら近接武器の方が強い!」という事に
 ゲームじゃないんだから・・・・。

みんな人間よりずっと運動神経が良いから、銃で撃っても避けられたり弾かれる。やはり信じられるのは己の拳と近接武器
 みんなMGSのサイボーグ忍者かその親戚ですか?w
 いや、これありえるのです。近接武器の戦闘スタイルと銃を使う敵を混ぜた作品を書こうとすると、必ず「SMGで秒間20発近いスピードのフルオート連射をされても、剣で全部弾く主人公」とか、果ては「ライフル弾とか素手でキャッチする敵(つる仙人?)」とか出てきます。あと「特殊能力で敵の弾を止めるorかわす(マトリックス?)」とか出てきます。
 その割にレトロな近接武器でやられたりするわけです。そこに矛盾を感じる人もやはりいるでしょう。解決案としてはやはりどこか安易な感が否めません。
 
あえて突っ込まない。
 最後の手段w
 他の戦闘考証はしっかりしていてもここだけはあえて無視。というかファンタジーな特殊能力が入ってくる時点で現実的な戦闘考証などそもそも無意味な気もしますしね。

 みなさんからも何か折衷案、ありましたら是非コメント欄にてどぞー(´ー`)ノ

 アズマとカムドの小説、すでにエンディングも含め、大まかな筋書きはすでに固まりつつあるのですが、中身を見れば見るほど、どうして私はこうも残酷な展開が好きでたまらないのかな、と。
 AS後編もそうなんですよね。

 自分の好きなキャラクターはとことんイジメ抜きたくて仕方がないw

 サディストか、俺はw

 いや、でもね。現実世界では起きて欲しくない事を、仮想世界でシミュレーションできるのが小説の楽しいところで、これはある意味、私にとっては危機に対しての確認作業でもあるわけです。

 とはいえ、このままの展開で小説を始めたら途中で耐えられなくなって読む気を無くす人が出てくると思われるので、ちょっとしたユーモアというか、ほっと一息つけるシーンも加えてみます。

 こういうのって、大事だと思うのです。恐い映画をTVで見ている中、途中でCMが入るとどこかほっとしたりしませんか? 映画のDVDを借りるのもしかり、私一度ホラー映画を立てつづけに2,3本借りて連続して見たことがあるんですが、あれはアタマおかしくなります。たまーに見るから良いわけで、途中コメディとか別ジャンルを挟まないと恐いモノも恐いとは思えなくなってむしろどっか危ない世界に誘われてしまう(笑)

 優れた作品には、きっと激しさの中にもちょっとしたユーモアが入っているのだと、最近思っているエマなのです。

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