創作の模索: 2006年4月アーカイブ

死の扱い方

エマ
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ゲーム評論不在の日本で,評論の場を興す試み。GLOCOMのRGN(4Gamer)

なかなか面白いです。第一回目は死の扱いについてですが、これはゲームに限らず、あらゆる創作に共通するテーマですね。
続編を見越したり表現の制約上、陳腐な(真に迫っていない、ご都合主義な)死の描き方・死に対する仲間の反応の描き方など、そうなってしまうのには幾つかのパターンが挙げられると思います。
列挙してみましょうか。

良くあるパターン
・今作では死んでも、続編ではパラレルワールドという事で生きている。
・死ぬ必然性がないのにシナリオを盛り上げる為にとりあえずキャラを死なせる。
・絶対に死ぬような危険な状態なのに、メインキャラだけピンチを切り抜け、他のキャラは死んでいく。
・もうすぐ死んでしまうキャラが仲間の腕の中で延々と喋り続ける。
・仲間が死んだその時は大泣きするが、その後はすっかりソイツの存在を微塵も思い出すこともなく、無視してストーリーが進む。
・死に方に悲惨さがない。お芝居みたいな死に方。殺され方。見た目的・心情的にも綺麗すぎる死に方。死の匂いが感じられない死に方。
・大けがをしても、みんなすぐに治って傷跡も残らない。
・重要なメインキャラが死にかけているのを助けるため、それほど重要でないキャラが自らを生け贄にして、その結果メインキャラが助かる(そのメインキャラを死にかけさせる理由がただのお涙頂戴だった可能性有り)。

最悪パターン
・単にプレーヤーに衝撃やお涙ちょうだいしたい為にキャラを殺し(或いはそのように見せ)、その後無理矢理な理由をつけて復活させてしまう。

これらのパターンでも、上手くやれば不味い結果にはならないでしょうが・・・。一つの指針としては、「盛り上げるため、お涙頂戴のため」に殺そうとすると、後々ストーリーの質が落ちていく気がします。
キャラクターの死って、やはりストーリーの流れに多大な影響を及ぼすんですよね。キャラクターの死ありきではなく、まずストーリーの流れから、死ぬべきキャラクター、その死に方を考えてみた方が良いんじゃないでしょうか。

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