盛夏の祝福

みさきは毎日家の掃除を欠かさない。
一度などは熱を出したときにまで家事をしようとして清水に叱られたほどである。
それでも一部屋だけ、入るときに少し緊張してしまう部屋がある。
清水の亡妻、瑞穂の部屋である。
一度も会ったことがない女性だけれど、ご主人さまを幸せにしてくれた人で、感謝や好意に近い想いすらある。
それでもどこか整理のつかない想いも消えない。

「……よし」

花火大会から一ヶ月ほど経ったその日も、
みさきは掃除機を片手に、いつものように大きく深呼吸をしてから扉を開ける。
と、そこにいつもはいない影があった。

「ご主人さま?」

部屋の中は和室で、畳に和卓と桐の箪笥(たんす)が置かれているだけのシンプルなものだ。
もともと瑞穂があまり物に固執しないタイプだったせいもあるが、押入れが大きく、そこにすべて入れてしまえるのである。
だからみさきもこの部屋の掃除は手早くすませることができるのだが、今日はそこに清水がいたのである。

「あ、ああ、みさき。掃除か?」

扉に背を向け、和卓の前であぐらをかいて座っていた清水は、
手にしていた小さな写真立てを置いて、少しびっくりしたようにみさきの方へ振り向いた。
それはいつも和卓に置いてある瑞穂の写真である。

「ええ……でもご主人さまがなにかここでご用があるのでしたら、またあとで……」
「いや、構わないよ。おれももう出るところだったから」

そう言って立ち上がると、みさきが立つ扉の方へ歩いてきて、一度立ち止まると背後を振り向き、つぶやくように言った。

「なあ、みさき。この部屋、そろそろなくして別のことに使おうか」
「え? でもここは大切な奥さまのお部屋で……」
「そうなんだけどね……」
「……ご主人さま、なにかあったんですか?」

後ろを向いているので清水の表情はわからないが、声音からなにかを感じたみさきは心配そうに尋ねる。
と、清水はみさきの方へ向きなおり、いつもの笑顔で答えた。

「いや、なにもないよ。ただみさきが掃除するの大変かなって思ってさ」
「そんなことありません。特にここはおうちの中で一番楽なくらいですもの」
「そうか、それじゃこのままでいいかな」

笑ってみさきの肩を叩くと、清水は部屋を出てゆき、それをみさきは、どこか不安げな表情で見送った。

 

 

「そういうことがあったんですけど……それだけじゃなくて……なんだか最近ご主人さま、考え込んでらっしゃることが多くて…… なにかあったんですかって尋ねても、なんでもないよって……」

そう言われてしまえばみさきとしても強いて追求できない。
しかしそれだけに想像は頭の中で加速してしまうし、
それが悪い方向に向かってしまうのは、清水の表情を思い出せば仕方のないことだ。

「もしかしたらお仕事のことでなにかあるのかな、とも思うんですけど、ご主人さま最近奥さまのお部屋にいらっしゃることやお墓参りにいらっしゃることも多くて……もしかしたら奥さまのことを思い出して悲しんでいらっしゃるのかな、とも思ったんですけど、いままでそんなこともなかったし……だから、新しく好きな人ができて、その方のことと奥さまのことで悩んでらっしゃるのかなって……」
「墓……そうか、この近くには墓地があったな」

思い出したようにゴウが言い、みさきはうなずく。

「はい……ご主人さま、今朝も『ちょっと墓参りに行って来るよ、お昼は外で食べてくるからね』っておっしゃってたから、今日こそちゃんと確かめようと思って、急いでお弁当作って、わたしも来てみたんですけど……口実にしてはちょっと無理がありますものね。墓地の近くまで行って引き返してきちゃいました」

悲しげ笑いながら舌を出すみさきは、膝に置いた籐のバッグを見おろす。

「そうか……」

口実の無理さ加減だけではなく、はっきりと確かめてしまうことも怖かったのだろう。
ゴウにもそのことはわかり、少し考え込むように目を閉じて腕を組み、みさきも同じようにうつむく。

「わたし……いろいろと自分が情けなくて…… ご主人さまが奥さまのことを思い出して悲しんでらっしゃるなら、わたしはそれを癒してさしあげたくてやってきたのにできてないってことだし、もしご主人さまに新しく好きな方ができたのなら、そのことを喜んで、うまくいくようにお手伝いしないといけないのに…… だのに……それも……どうしてもできない……」

うつむいたまま、様々な想いから自己嫌悪に陥っているみさきのつぶやきがゴウの耳に届く。

「…………弁当の礼をしなくてはな」

かなり長い沈黙のあと、閉じていた目を開き、
組んでいた腕をほどいたゴウは、青と赤の瞳にやさしげなほほえみを乗せてみさきを見た。

「え?」
「少し、おれに任せてみてくれんか。必ずうまくいくと約束はできぬが、たぶん、よい結果が出せると思う」
「…………」
「どうだ、みさき」
「………はい、お願いします」

やさしげなゴウの瞳にほだされて、みさきもやわらかい笑顔を見せてうなずいた。
それを見たゴウは同じ表情のまま立ち上がり、みさきに手を貸して立ち上がらせた。


P.E.T.S & Shippo Index - オリジナルキャラ創作