盛夏の祝福

真夏の太陽が地上のすべてをじりじりと灼きつける盛夏の午後。
山あいの小道を、白い夏用のジャンパースカートに薄手の上着を羽織り、
小さめの麦わら帽子姿で歩く一人の少女がいた。
十代と二十代のはざまにあるとおぼしいその美少女は十九歳。
中背に届くか届かないかというほどの背を持ち、
セミロングよりやや短い、なめらかな漆黒の髪をゆらしながら、
成熟にはまだおよんでいないが、充分なやわらかさと温暖さに彩られた美貌をややうつむかせて歩く。
その手には、すこし大き目の籐(とう)製の、かごのようなバッグが握られているが、
それも彼女の憂いのひとつだった。

 

「…………きゃっ!」

どこかぼうっとしたまま歩いていた少女は、なにかにつまずいて小さく悲鳴をあげながらつんのめった。
あやうく落としそうになったバッグをなんとかつかんでバランスを立て直すと、
反射的に振り向いてなににつまずいたのかを見、またもあげそうになった悲鳴をあわてて飲み込んだ。
彼女がつまずいたのは人の足だったのだ。
もちろん足だけが転がっていたわけではなく、その先には体があった。
道の脇の大きめの木に背をあずけ、木陰の中で眠るように目を閉じている青衣に身を包んだその青年は、
ずばぬけた長身と見ただけで内実があると知れるたくましい肉体を持っていた。
年のころは二十代前半だが、どこか威厳があり、それが彼がただの若者ではないことも物語っている。
だがいまは、男らしい風貌を誇る顔にやつれが見え、
どこか精気が抜けているようにも少女には感じられて、
それだけに彼女は、声をかけることも、そのままなにも言わず立ち去ることも、とっさにはできずにいた。

「…………」

眠っていたかと思えた青年がゆっくりと目を開け、少女を見た。
その瞳は右が青、左が赤をなしており、少女は一瞬、その美しさに見とれたが、
青年はなにごともなかったように彼女に話しかけてきた。

「……すまなかったな、転んだり怪我をしたりはしなかったか」

すこし弱々しいが、厚みのある、あたたかで包みこむような声が少女の耳を打ち、
彼女は背筋が伸びる思いと、守られているような安心感が同時に心に湧くのを感じて、ほっとしたように口を開いた。

「い、いえ、大丈夫です。わたしこそすいませんでした。ぼーっとしちゃってて……」
「いや、こんなところで足を伸ばしていたおれの方が悪い。本当にすまなかった。なにしろここ五日ほどなにも食べていなかったので、いまは動くに動けないのだ」
「え!? 五日も、ですか!?」

驚いて訊きかえす少女に、青年は表情も変えずうなずく。

「すこし修行に集中しすぎてな。もっとも、これもまた修行のひとつになる。しばらく体力の回復に力を注げば、多少は動けるようになるだろう」

どうやら武道かなにかの修行者のようだが、それだけでもないように思える。
目の前にいる青年が少女には、どうも自分と同類で、しかしけっしてそうではないようにも感じられるのだ。
だがいまは青年の正体よりも、体の方が少女は気になった。

「あの、よかったらこれ、どうぞ」

少女は青年の横にしゃがむと、手にしたバッグを差し出した。

「……これは?」
「えっと……その、お弁当なんです」

そう言う少女の顔を、さきほどまでの憂いが通り過ぎ、
青年はそれを見逃さなかったが、尋ねたのはべつのことだった。

「だが弁当というからには、お前か他のだれかが食べるのだろう。おれが食べてしまっては困るのではないか」
「いえ、いいんです。その、食べてくれる人がいなくてどうしようかと思ってたからちょうどいいし。わたしが作ったからおいしくはないだろうけど、でも……」

初対面の相手に「お前」呼ばわりされたことに、少女は気づかなかった。
青年には生来の格があり、それが自分とは比べものにならないほど上にあると、
彼女の本能がごく自然に悟ったのである。
だが青年自身にはそのような自覚はなく、
なにか事情がありそうな少女の、自分の憂いを隠し、
弱っている者を助けようというやさしい心に、やわらかなほほえみを向けるだけだった。

「……そうか、では遠慮なく馳走になるとしようか」

 

 

「……うまかった、ありがとう」
「おそまつさまでした」

木陰の下、二人半前はあった弁当をあっという間にたいらげた青年はやわらかな笑みで礼を言い、
同じ木陰の草の上に腰を下ろす少女もそれを受けて笑顔を返す。
青年の食べっぷりは豪快ではあったが、汚らしさやいやらしさはなく、
爽快さだけを少女に伝え、彼女の憂いをいっとき忘れさせてくれた。

「そういえば名乗ってなかったな。おれの名はゴウという」
「わたしはみさき、清水みさきです」
「前世はライオンのようだな」
「はい、そうです。………って、ええっ!? どうして!? 守護天使をご存知なんですか!?」

ゴウがあまりにも自然な口調で尋ねてきたため、
つられて答えてしまったみさきが驚いて訊きかえす。

「もちろん知っている。これでも聖獣の端くれなのでな」
「聖獣って……もしかしてめいどの世界の歴史の授業で習った、四聖獣さまのことですか!?」
「四聖獣を知っているのか。いかにもおれは四聖獣が一人、青龍のゴウだ」
「で、でも四聖獣さまってたしか封印されてたんじゃ……」
「つい最近めざめた」

歴史上の人物(?)が、いきなり目の前にあらわれて、ごく自然に自分と会話をしている。
その違和感と、それを吸い取ってしまうようなゴウの雰囲気に、
ライオンのみさきはしばし呆然としてしまった。

「どうした」
「……あ、いえ、なんでもないです」

ゴウに尋ねられ、我に返ったみさきは、あわてていくつかある弁当箱を片づけはじめた。
それを見ながら、ゴウはやわらかな表情のまま、今度はべつの問いを発した。

「なにか憂いがあるようだな」
「え?」
「そのていどのことも見抜けねば、聖獣とはいえぬ」
「そう……ですか……」

弁当箱を片づけ、ゴウの足につまずく前の表情に戻ったみさきに、青龍はやさしく語りかける。

「憂いの元は、主人だろう」
「え! ど、どうしてわかるんです?」

またも驚いて訊きかえすみさきだったが、これにはゴウは笑って答えなかった。
守護天使をすこしでも知っていれば、
彼女たちが主人のこと以外で悩むなど皆無に近いと誰にでもわかる。

「これもなにかの縁だ。よければおれに話してみないか」
「…………」

ゴウは無理にうながすことはしなかったが、
みさきはすぐそばにいる青年の、すべてを包んでくれるような広さをすでに感じ取っている。
だから彼女がこう答えるまで、さほど時間はかからなかった。

「……じゃあ、お願いします」

 

 


P.E.T.S & Shippo Index - オリジナルキャラ創作