ある日の訓練風景

視界が回転する。
目に映るすべてが下方へと一瞬で流れ、代わりに天井に設置された照明器具が上から流れ込む。
宙に浮いているという感覚と、視界一面には天井が映っているという事実。
この二つが何を意味するのか———それを理解するより早く、なたねは地面にたたきつけられた。

ある日の訓練風景

「レティーツィアです。宜しく、なたね」
「はい、今日は宜しくお願いします!」

 微笑みとともに差し出された手を、守護天使・アブラムシのなたねは握った。
 髪留めで纏められた鮮やかな金髪と、凛々しさを持つ整った顔立ち。胸に剣を掲げる騎士のロゴが付けられた青い制服は、精鋭揃いと噂のドミニオン・フォース警備部特務室のものであり、彼女の腕が相当のものであることを告げている。
 すらりと伸びる肢体からは想像もつかないが、彼女は相当強いらしい。一体どういう経緯で話が通ったのだろうか、となたねは思う。

「さて、ではさっそく始めましょう。事前に予約はしてあるので、場所はあるはずです」
「はいっ!」

 元気良く頷くなたねに、準備をしましょう、と告げてレティーツィアは歩き出す。その背中を追いかけるように、なたねも歩き出した。
 前を歩く背を見ながらなたねは思う。ボクの力は、この人にどこまで届くだろう。どんなことを教えてもらえるだろう。ボクは何を知り、何を得るのだろう。
 高揚していることを自覚しながら、なたねはこれから始まる戦い———守護天使・ライオンのレティーツィアとの模擬戦にに思いをはせた。

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 率直に言ってしまえば、なたねの戦闘スタイルに対して、疑問の声が上がったことが今回の模擬戦の発端である。
  彼女の戦闘スタイルは、忍具の一種であるくないの投擲による、比較的遠い間合いで戦闘を行うものである。戦闘を専門とする戦術チームを除き、ドミニオン・ フォースでは個人の裁量で装備選択の自由がある程度認められている。体力はともかく、お世辞にも体格に恵まれているとはいえない彼女では、近接武器の選択 の幅、打ち込みで得られる威力にも限りがある。そこで彼女が選択したのは、体重差による打ち合いの不利を受けず、且つ人間界での行動を想定し、携帯性、静 粛性、汎用性及び取り回しに優れる武器による戦闘———投擲武器による相手の間合い外からの攻撃を主体とした戦法だった。
 この戦法の問題点は威 力不足にある。手持ちの武器を投げるということは、自ら武器を手放すということと同義ではあるが、こちらは複数を同時に携帯することである程度対応ができ る。が、威力はそうはいかない。己の体重を直接かけることができないため、どうしても威力は低くなってしまう。よって、前衛におけるアタッカーの役割を果 たすことは難しくなり、自然と後方からの補助的な役割に徹することになる。
 だが、彼女にはバックアップの素質が希薄だった。むしろ正反対の素質———優れた反射神経、体力、瞬間的な判断力。そして敵と対峙した際の気組み。即ち、前衛の素質を備えていた。
 優れた素質を持ちながら、体重の軽さゆえに格闘戦における不利を持つ。前衛としての適性をたった一つの条件で殺されている———後衛になりきれない後衛。それがなたねの現状である。
 確かに体格的な不利はあるが、この素質を殺したままにしておくのは勿体無い。生かす方法を探すべき。同じ小隊の先輩三人にそう言われ、訓練を開始して半月ほど経過したころに舞い込んだのが、今回の模擬戦だった。

「いっ・・・たぁ・・・」

 強打した背中の痛みに呻きながら、なたねは上半身を起こした。
 何をされたのかは分かっている。理解した、というべきか。
  リーチの乏しい自分が格闘戦を挑むのならば、懐に潜り込む以外の選択肢はない。体重が足りないならば、筋力と体重を一点に集中させる刺突が最良の手段であ る。誰であろうとたどり着く単純な解だが、口で言うほど単純なものではないのだ。リーチに勝る側は自らの距離を取り続ければいいが、飛びこむ側は相手の攻 撃をかいくぐらなければならない。その上、懐に入れば勝ち、というものではない。今の一戦がその例だ。 懐に<飛びこませて>の組打。打撃により体を崩 し、地面に叩きつけるように投げる。実戦ならば、即座にとどめの一撃が来ただろう。

「うまくいったと思ったんだけどなぁ・・・」
「思い切りの良さは大切ですが、貴方の場合は良すぎます」

  なたねの手を取り、引っ張り上げながら、紺の戦闘服に身を包んだレティーツィアはむぅ、と唸った。胸当てと脚甲のみという動きやすさを重視した鎧、腰に吊 るした訓練用のブロードソードと左手のバックラー。片手剣と小盾という、西洋剣術、特にドイツ剣術においては代表的といってもいい装備の一つである。その 装備に加え、本人の凛々しさも相まって女騎士の風貌を成している。
 今の一戦を含め、今までの四回の模擬戦は全てなたねが負けている。二回目まで は懐に飛び込む前に片手剣を突き付けられ、三回目には逆に懐を取られている。ハードとしての性能差、実戦経験の違い、接近戦への慣れ。もしくは、そのどれ とも違う何か。レティーツィアが当然のものとして持ち、なたねが持たざるもの。二人の間に横たわるそれは、いったい何なのか。
 それを学びに来たのだ。なたねは思考の海に潜りかかっていた己を引き上げる。

「もう一戦、お願いします!」
「ええ、喜んで」

  応えるようにレティーツィアは構えを取る。右手を体の後ろへ、左手を前へと突きだした姿勢。ブロードソードを体の陰に隠し、攻撃の出所を分かりにくくす る。同時にバックラーを突きだすことで盾の陰を大きく取ることで、防御範囲を広げる。クローズド・ガードと呼ばれる、西洋剣術の基本的な構えだ。
 未だなたねが攻略し得ない構え。その理由は、バックラーの存在にある。
 打ち切り用のブロードソードはとも かく、バックラーを用いる相手との戦闘経験がないなたねにとっては、30センチほどの円形をした盾の用法など知る由もなかった。
 盾という防具は、当然のことながら相手の攻撃を防御するための道具である。刃を受け流し、もしくは盾に食い込ませることにより動きを封じ、種類によっては壁としても機 能した。相手の攻撃を封じる、防御のためのオプション。それが盾である。
 ・・・そんな風に考えていた時期が、ボクにもありました。
 その認識は、2回目の模擬戦で吹き飛んだ。より正確に言うと、殴り飛ばされた。
 懐に入ろうと迫るなたねに対し、レティーツィアは迎え撃つように踏み込み、バックラーでなたねの額に打撃を入れようとしたのだ。
 紙一重で回避には成功したものの、想定外の一撃でなたねはバランスを崩した。意識にも一瞬の空白を生み、当然のごとくそれを突かれて負けてしまった。
 いい教訓だったな、となたねは思う。レティーツィアを攻略する上で、あの左手を捌くことこそが最初の一歩なのだ。
 深く、ゆっくりと息を吸う。先ずは左手を掻い潜る。右手は後ろに隠されているが、位置が遠い分初動が遅い。懐に飛び込んでしまえば、自由には振るえなくなる。
 肺に溜まった空気をゆっくりと吐き出す。腰を深く落とし、重心を前へ。
 勝負は一瞬、一撃で決まる。否、一瞬で決められなければ負けなのだ。
 再び大きく息を吸う。声とともに鋭く息を吐き出し、なたねは蹴り足に力を込めた。

 姿勢は低く、前方投影面積も小さい。これまでの4回、スピードも十分だった。成程、対峙する敵から見れば攻める部位は限定され、この姿勢から繰り出す一撃は必殺必倒だろう。
 ————当てられれば、の話ですが。
 レティーツィアは思う。このままでは、それはまず在り得ない
 確かに、懐に潜り込めばリーチ差による優劣は消滅する。否、間合いを殺すことに成功し、優劣は逆転する。
 体格の不利における打突の軽さは刺突による一点集中という形で補われ、直接打撃においてこれ以上の威力を発揮する手はない。体格差による劣勢を一瞬で裏返すこの戦法は、なたねの持持ち得る手札において、最高の鬼札(ジョーカー)と言ってもいいだろう。
 だが、それはあくまで<自分の能力を最大に発揮できる一撃>という意味のものだ。時としてそれは最悪の選択として機能し、己へと牙をむけることもある。ならば最善の選択とは何なのか。より良い一手とは一体何なのか。
 今までの模擬戦でヒントは与えた。この一戦でもヒントを与えることになるだろう。答を出すまでには至らないだろうが、それでも今までの模擬戦で感じ取ったものはあるはずだ。
 なたねが間合いに侵入した瞬間に迎撃する。疾走をはじめようと構えるなたねを見据え、レティーツィアはその一瞬を待った。
 

 疾走が始まる。
 レティーツィアの読みに違わぬ低姿勢・高初速の突進は、半秒を待たずに間合いを零に詰める。
 狙いは胸部。そこに苦無を突き立てんとするなたねに対し、バックラーが襲いかかった。
 左側頭部を狙う、バックラーを用いた裏拳。当たれば一撃で意識を狩りとるその一撃は、しかし空を切った。
 頭部を下げることで頭上を通過させたバックラーに対し、なたねは即座に右手を跳ね上げる。レティーツィアの手首、その内側に己の手首を当てるように大きく外へと弾く。
 これで左手が再びなたねを襲うことはない。戻ってきたとしてもそれはすでに踏み込まれた後、勝負がついた後だ。
 左足で踏み込む。バックラーを払ったことで半身になり、攻撃には左手しか使えないが構わない。ここまで来れば左手だけで十分だ。
 間合いは殺した。こちらの左足とレティーツィアの右足が触れ合う位置にまで踏み込んだ以上、満足に剣を振るう空間はない。
 重心移動によって必殺の威力を持った苦無が突きだされる。とった。なたねはその一撃で勝負が決まったことを確信し———事実、勝敗は決した。
 

 「え・・・?」

 苦無は何も捉えていない。完全に空中を突く形で繰り出されたそれに代わり、なたねの首筋には刃引きの剣が当てられている。
 振るえない筈の空間で振るわれた剣。目の前から消失した目標。何が起こったのか、一瞬なたねにはわからなかった。それだけ確信が大きかったのだ。
 レティーツィアの右足の位置は変わっていない。だが、その体勢は大きく変わっていた。
 右足を前へ、左足を後ろへ。剣を前面に突きだした、半身の構え。
 バックラーをはじかれた勢いさえも利用した軸足の入れ替え。半円を描くように、右足を軸として左足を引く———その勢いでブロードソードを薙ぐ。
 畢竟、苦無の標的であった胸部は遠ざかり、開いた距離にブロードソードが入り込む。レティーツィアの勝ちである。
 首筋から刃が離れる。

 「まだ甘い。ですが、こちらの初撃を払った点は良かった。あれは予測していたのですか?」
 「えっと・・・やっぱり最初にこっちの動きを止めに来るかな、って。だったら剣で止めるよりも、盾で止めた方がレティーツィアさんは動きやすいとおもったんですけど」
 「ええ、その通りです・・・ふむ」

 腰の鞘にブロードソードをもどしながら、レティーツィアは言った。続けて、右手を腰に当てながら微笑んで、

 「今日はここまでにしましょう」
 そう告げた。

後半へつづく


P.E.T.S & Shippo Index - オリジナルキャラ創作