天使とのゆびきり - パート2

第2話「桃子との誓い。そして……」

 数年ぶりに訪れる、日向家のお墓。
 俺は途中で買ってきた花を墓石に供えて、静かに手を合わせた。
 恋人だったの日向美夏と、美夏の双子の妹の秋子。
 そして、俺の隣にいる桃子。
 かつて一緒にときを過ごした4人が、また揃った。
 ただ、境界線ははっきり分かれているが。

「美夏、秋子。来れなくてごめん。刑期を終えたらすぐに来ようと思っていたけど、合わせる顔がなかった。本当に、ごめん」
「お兄ちゃん…」

 刑務所を出て、真っ先にここに来ようと思った。
 でも、殺人未遂を起こした犯罪者がすぐに行っても迷惑をかけると思い、少し時間を空けようと考えて来なかった。
 そのときから数年。
 時間が過ぎる度にここに来ることを忘れ、ただ時間だけを消費していた。
 サキミに連れてこの地に来られなければ、もう数年は来なかっただろう。

「これからは毎年来るようにするから、それで許してほしい。桃子も、ごめんな」
「ううん。私は、別に……」

 すっかり大人になった桃子に最初は驚いたけど、全身に漂う暗いオーラを感じて心底申し訳無いと思った。
 俺はこの娘の為にも、早くこの街に帰ってこないといけなかったのに。
 残された桃子を1人にしてはいけなかったのに。
 そう思うと、後悔の念に押しつぶされそうになった。

「……ふぅ」

 最後に深く目を閉じてお参りをして、俺は立ち上がった。

「ごめんな、付き合わせて」
「ううん。私、お兄ちゃんに色々と聞きたいことあるから、このぐらいなんともない」
「そうか……。場所を変えよう? ここで話をするには寒過ぎる」
「なら、お家に行こう? そこなら、私も落ち着くから」
「ああ」

 俺と桃子は一緒に階段を降りて、懐かしい町並みを一緒に歩いていく。
 久しく忘れていた地元の冬の寒さに体が震える。
 それは同時に、俺がこの街を離れていた時間であり、桃子が一人ぼっちになっていた時間でもある。
 離れるまではそれなりに桃子のことは分かっていた。
 この娘が生まれてから、俺が忙しい桃子たちのご両親の変わりに桃子と秋子を育てた自負ある。
 どういうときにどういう仕草をしたらこういうサインとか、把握はしていたつもりだった。
 でも、今の桃子は分からない。
 前は隣に来るのが当たり前なのに、今は俺の体2人分ぐらい離れていて、顔を見ると無表情で何を考えているのか読み取れない。
 俺の知っている日向桃子と一致しないのだ。
 罪悪感が徐々に俺の中で襲ってくる。

「……着いたよ、お兄ちゃん」
「あ、ああ…」

 考え事をしていたら、いつの間にか着いていた。
 3姉妹と一緒の時間を過ごした、もう1つの我が家。
 でも、隣にあった我が家は無くなっていた。
 俺がここを離れてから、ほどなくして両親がこの地を離れた。
 その後も買い手がつかなかったらしく、取り壊されたことは聞いていた。
 たくさんの思い出が詰まった家が無くなっていた事を目の当たりにして、少し複雑な気分になった。

「今、鍵開けるから」
「ああ」

 小屋に自転車を置いた桃子は、ポケットから鍵を出して、家のドアを開けた。
 桃子が入ってから、俺も続いて家の中に入る。

「あ、そうだ」
「うん?」

 靴を脱いで上がった桃子が、俺の方を振り返る。
 それまで無表情だった顔に、少しだけ笑顔が浮かぶ。

「おかえりなさい」
「……ただいま、桃子」

 差し出された手を取って、俺は家の中に入った。

「んっ…」

 そのときに、桃子の頭を撫でた。
 昔と同じさらさらの髪だった。

「こっち」

 リビングに案内されて、幾度となく一緒に食事をしたテーブルの椅子に座る。

「ごめんね、あまりお客さんとか来ないから、来客用のお茶とか用意していないの」
「別に構わないよ。てか、気を使わなくてもいい」
「うん。ありがとう」

 キッチンに立っている桃子を見ながら、俺はさっと周りを見た。
 ご両親が海外に引っ越したのもあるのだろうか、家具がものすごく少ないことに気づいた。 
 そのせいなのか、家に入ったときにあまり人の気配がしなかった。

「どうぞ。ペットボトルのお茶でごめんなさいだけど」
「いいって」

 コップに注いだお茶を置いて、桃子は椅子に座る。
 墓地に居たときはあまり見れなかったので、お茶を飲むのと同時に顔を見る。
 全体的に別れたときよりも美人になっているのがわかった。
 特に、胸の成長がすごかった。
 美夏もそれなりに大きいほうだったが、桃子は更に上を行っているのが外見からも見て取れる。
 やはり姉妹だな。成長が似ている。
 そうなると、余計に秋子が可愛そうに思えてきた。

「…お兄ちゃん?」
「ああ、ごめん。ちょっと、桃子を見ていたんだ」
「そうなの? 別に、私なんて見たって面白くないよ。あ、もしかして、胸、見てた?」
「それも含めて、だな」
「隠さないんだ……。でも、お姉ちゃんの大きい胸いっぱい見ていたから、私のなんて小さい方でしょう?」
「お前は一度、よく鏡を見てみるべきだな。如何に過小評価しているかわかるから」

 今の桃子は通り過ぎた男たちが振り向くであろうぐらい美人だと思う。
 あえて足りない所をあげるなら、全体的に細過ぎるってことぐらい。

「分からないから、そういうの」
「……聞かせてくれるか? 俺が居なくなったときから、今までのことを」
「……うん。聞いて」

 姿勢を正して、桃子の話を聞いた。
 俺が居なくなってから、桃子は引き篭もりがちになったこと。
 ご両親が逃げるように居なくなったこと。
 自殺をしたこと。1人の家なのに救急車を呼ばれたこと。
 それから、励ましの手紙が来るようになったこと。
 時間にして1時間ぐらい、俺の知らない桃子のことを聞いた。

「不思議なこともあるものだな」
「うん。でもね、不気味には思えないんだ。逆にね、なんかほっとしているの。そうじゃなかったら、今頃私は生きていないから」
「命の恩人だな。会うことが出来たら、俺からもお礼言わなきゃ」
「そうして。……今度は、お兄ちゃんが話して」
「ああ」

 刑務所を出てから今に至るまでのことを桃子に話した。
 出所してからしばらくは親戚の家に置いてもらい、就職支援を受けながら働いていたこと。
 金がある程度貯まってから親戚の家を出て、今住んでいる土地に引っ越したこと。
 その土地で就職しようとしたが、前科がある為にうまくいかなかくて、ずっとバイトしていること。
 サキミのことについては伏せておいた。

「お兄ちゃんも色々あったんだね」
「桃子ほどじゃないけどな」
「……お兄ちゃん、今1人?」
「ああ」
「寂しくない?」
「もう慣れたよ。1人暮らしして長いからな」

 美夏が居なくなったときはしばらくは薬を使わなければ眠れなかった。
 数年が経ち、今となっては1人で寝ることにも慣れた。
 それでも時々、美夏の夢を見て起きることもある。
 夢はあまりにも甘美で、二度と戻らない日常だから。

「お姉ちゃんのこと、忘れたの?」
「忘れるわけない。美夏のことは今だって愛してるさ。生きていたら、今頃はプロポーズしていた」
「もう夫婦同然だったじゃん。夜なんて一緒に寝ていたよね」
「ただ、美夏が居ない時間が過ぎただけだよ。それだけ」
「私は………まだ、眠れないよ」

 桃子は立ち上がり、棚からポーチを取り出してきた。
 中には大量の薬が入っていた。

「定期的にお医者様に行って、これだけもらってるの」
「体は大丈夫なのか?」
「体は、ね。でも、心がぼろぼろ。人と触れ合うことが、怖いの」

 微かに、桃子の体が震えていた。
 顔色も悪くなっていた。

「あはは、薬が切れてきたみたい。嫌だな……お兄ちゃん相手でも、私の体は触れ合いを拒絶するみたい。あんなに大好きだったのに」
「離れそうか?」
「ダメ! 離れちゃ、嫌だ」

 震える手で、桃子は俺の服の袖を掴んだ。
 額からは脂汗が流れていた。

「今離れられたら、また、一人ぼっちになっちゃう。もう、1人は、嫌だよぉ」
「桃子……なら、こうしてやる」

 俺は桃子を引き寄せて、そっと抱き締めた。
 痩せ細った体。
 後悔した。
 一時の感情で、この少女を置いて出て行ってしまったことに。

「我慢できなかったらいつでも言え。それまではこうしてやるから」
「お兄ちゃん…」
「吐き出せ。桃子の中にあるもの、全部、俺にぶつけろ。どんなことだって、受け止めるから。桃子を受け入れるから」
「いい、の? 嫌いにならない?」
「なるかよ。今更だろうけど、俺、桃子のことだって、本当に大切に思っているんだからな。好きになることはあるけど、嫌いになることなんて絶対にありえない」
「ありがとう……浩人、お兄ちゃん……。う、えぅ…」

 桃子の目から溢れて流れた涙は、次第に多くなっていて、やがて、

「うわああああああああ」

 溜め込んでいた感情と共に溢れた。


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