天使とのゆびきり - パート2

第1話「悲劇の別れ、そして、変化の再会」

 その日、いつもの日常を送っていた。
 朝から学校に登校して、授業を受けて、大好なお弁当を食べて、部活をして、我が家に帰る。
 変わらずとも平穏な日々。
 そんな平穏が、ふいに破られたのは突然だった。

「お母さんから?」

 授業が終わったのと同時に携帯にお母さんから送られたメール。
 普段はあまりメールどころか携帯を触らないお母さんが、私が学校に行っているときに送ってくるのはおかしいと思った。
 私はなんか嫌な予感がして、そのメールを開いた。
 そこに書かれていたのは、最悪の内容だった

「ごめん、みさ。早退する!」

 近くにいた友達にそう告げると、私は鞄を持って学校を出て、急いで病院へと向かった。
 自転車を飛ばすこと数十分。
 正面玄関にいたお母さんと合流して、とある部屋へと入った。
 そこに居たのは、うずくまって泣いている、隣に住んでいるお兄ちゃんと、

「お姉ちゃん………秋ちゃん」

 ベッドに横たわり、顔には白い布をかけられた、私のお姉ちゃんと双子の妹。
 これを意味することは一つ。

「なん、で……。だって、朝は元気で、出かけていったのに……さ」

 お姉ちゃんと妹は一緒の学園に通っていて、私は別の学園に行っていたから、朝は2人の元気な姿を見て登校した。
 なのに、どうしてこんなことになったんだろう。
 目の前の出来事が理解出来ない。
 理解なんてしたくなかった。

「……理不尽だよな」

 ふと、お兄ちゃんがそう呟く。

「本当、理不尽だ。美夏と秋子が一体何をしたって言うんだ。2人とも、とってもいい子だと言うのに」
「お兄ちゃん……」

 あまりにも弱々しく、嗚咽交じりのお兄ちゃんの言葉。
 それは、普段の姿からは想像すら出来ないぐらいの、絶望に打ちひしがれていた。

「……ちょっと、外に出る」

 足取りが覚束ない様子で、お兄ちゃんは外へと出て行った。
 それを見送った後、私はお姉ちゃんと妹、美夏お姉ちゃんと秋子ちゃんの顔に被さっていた布を取った。

「……綺麗な顔」

 それは誰の言葉だったか。

「本当、綺麗な顔……」

 2人の顔を撫でて、それから美夏お姉ちゃんの頬に手を当てる。

「……あっ」

 私の手に、水滴が付く。
 初めて、私は泣いているんだと理解した。
 そして、悲しみが溢れた。

「うわあああああああああああああ。ああああああああああああああああああああああ」

 声を抑えることを忘れ、ただ感情のままに泣いた。
 大切な、血を分けた姉ともう一人の私の死。
 そのことを、ようやく受け入れたのだった。

 

 

「……ふぅ」

 深夜。
 もう何度目になる、悪夢で目が覚める。
 あれから数年。
 あの日を境に、周りの環境は変化した。
 まずは、隣に住んでいたお兄ちゃん、奥村浩人お兄ちゃんが居なくなった。噂によれば、警察に捕まったらしい。
 おばさん曰く「美夏ちゃんと秋子ちゃんを轢いた犯人を探し出して、復讐した」らしく、殺人未遂罪で刑務所に入ったという。
 それ以降のことは教えてもらっていない。
 それから、お父さんとお母さんが、海外に引っ越していった。
 表向きは会社の出向だと言っているが、日本に居たくないのは明らかだった。
 私も来るように言われたが、家に残ることにした。

「……美夏お姉ちゃん、秋ちゃん」

 ベッドの隣にある小物入れの上に飾っている写真立て。
 そこには、生前の美夏お姉ちゃんと秋子、そして、私と浩人お兄ちゃんが写っている。
 当時は、美夏お姉ちゃんと浩人お兄ちゃんは恋人同士で、仲良く腕を組んでいた。
 そして、私が左で腕を組んで、秋子はおぶさった。
 幸せだった残影。
 一人になった今、写真を見るたびに胸が締め付けられるような無くなったけど、少しばかりはまだ痛む。

「今日は、命日か」

 写真立ての隣にある卓上カレンダーには、2人の命日にあたる日に丸印がしてある。
 事前にお墓参りに必要なものは揃えてある。
 そして、年に一回着る、高校生時代の制服もクリーニングから帰ってきた。
 通信制の大学に通っている私にはもう必要無くなったけど、2人の命日だけは着ることにしていた。
 成長した姿を見せたくなくて。
 私はまだ、美夏お姉ちゃんにとっては妹で、秋子にとっては双子のお姉ちゃんでいたいから。
 あの日から止まってしまった時計を進むことをしたくないから。

「今年も帰ってこないのね、お父さんとお母さんは」

 普通の親なら、自分の娘たちの命日には帰ってくるものだろうけど、家の両親はそんなことない。
 認めたくないんだろう、娘の死を。
 私でさえそうなのだから、親である2人は余計なのだろう。
 だから、最初の命日以外は、ずっと1人で墓参りをしている。

「寂しいね、美夏お姉ちゃん、秋ちゃん」

 そう語りかけてから、私はまたベッドへと入った。
 今度は、悪夢を見ることは無かった。

 

 

「行って来ます」

 制服に身を包み、墓参りに必要なものを持って家を出た。
 外は真っ白な銀世界。
 それなりに暖かい格好をしていて、カイロもしていたのに、身を突き抜ける寒さに襲われる。
 あの日も、こんな寒さだった。

「行こ」

 さくさくと音がなる雪を踏みしめて、2人が眠っている墓地を目指す。
 そこはこの街が見下ろせる場所にある。
 多くの墓はこの場所にあり、先祖代々の古い墓もある。
 私たちの祖先が眠る墓もここにある。
『日向家』
 墓地の端にあり、ここから見える景色はこの場所のどこよりも綺麗だ。

「一年ぶりだね、2人とも」

 墓の周りを掃除して、墓石を綺麗にしてから、私は手を合わせた。
 深く目を閉じ、生前の2人の姿を頭に浮かべる。
 いつだって笑っていて、幸せそうな姿を。

「美夏お姉ちゃん、お兄ちゃんが居なくて寂しいかな? お姉ちゃんはいつだって、お兄ちゃんにべったりだったよね。ほとんど自分の部屋に居ないで、窓越しのお兄ちゃんのお部屋に居て、いつの間にか私物まで置いて。お兄ちゃん言っていたよ。『美夏は本当に甘えん坊だ』って」

 美夏お姉ちゃんとお兄ちゃんは、私たちが生まれる前からの付き合い。
 お兄ちゃんはご両親の都合でこの地に引っ越してきて、そのときにお姉ちゃんと初めて会って、家の両親が忙しかったこともあって、お兄ちゃんがお姉ちゃんの面倒を見るようになった。
 そして、しばらくして生まれた私と秋子。
 よくお姉ちゃんは、私たちの面倒を見ていたって言っていたけど、ほとんどがお兄ちゃんの世話になったことは想像に硬くない。
 現に、私の記憶にはお姉ちゃんにお世話になったことはほとんどが無く、大抵がお兄ちゃんだった。
 そんな2人が恋人同士になったのは、私と秋子が中学生になったぐらいだった。
 いつものように4人で晩御飯を食べているときに、ふいに、

「私とお兄ちゃん、付き合うことになったの!」

 顔を真っ赤にして、お姉ちゃんは私たちにそう言った。
 その直後、

「お馬鹿」

 お兄ちゃんはお姉ちゃんをデコピンした。
 なんでも、この日の夕食後にちゃんというつもりだったけど、お姉ちゃんが堪えきれずに言ってしまったらしい。
 そんな状況に、私と秋子はお腹を抱えて笑った。
 多分、今までの人生で一番幸せな日だった。

「次の日のお姉ちゃん、幸せに満ち溢れた顔をしていたよね。そんな姿を見て、私と秋子は心の底からよかったと思ったよ。だって、大好きなお兄ちゃんとお姉ちゃんが結ばれたんだから。生きていたら、今頃は2人の赤ちゃんが見られたのかな」

 お兄ちゃん曰く、

『美夏には大学を卒業したらプロポーズするから』

 だそうで、生きていたら今頃お姉ちゃんは、お兄ちゃんのお嫁さんになっていて、もしかしたら子供が生まれていただろう。
 そしたら、きっと2人に似ていただろうな。

「秋子も、お兄ちゃん大好きだったよね。知らない人と出会うと、いつもお兄ちゃんの後ろに隠れてさ」

 秋子は人見知りが激しい子だった。
 中学に上がるぐらいには少しは改善していたけど、それまでは出かけるときはいつもお兄ちゃんか私がいた。
 本を読むことと、飼っていた猫と遊ぶことが好きで、暇さえあればその2つをしていた。
 その分、外で遊ぶことが大好きだった私。
 対称的な姉妹だったけど、そんじょそこらの姉妹よりも遥かに仲がよかったと自負している。

「もちろん、私もお兄ちゃん大好きだったよ。それこそ、お姉ちゃんと同じぐらい。だからね、2人が恋人になったときは本当に嬉しかったよ。うん、嬉しかったんだ……」

 私はいつも、もしればの世界を想像する。
 もしお姉ちゃんと秋子が今でも生きていて、4人で幸せに暮らしている。
 そのうち、お兄ちゃんとお姉ちゃんの間に子供が生まれる。しかも、双子。
 子育てに慣れてるお兄ちゃんは手際よくオムツとか変えるんだけど、お姉ちゃんはあたふたして、お兄ちゃんにデコピンされる光景を私たちは見守っている。
 秋子にもそのうちいい男の人が出来て、その人とも一緒に暮らす。
 笑顔が絶えない、そんな家庭。
 有り得たかも未来。
 それを想像することは虚しいことぐらいわかっているけど、それでもやめられない。
 だって、そこには現実にはない幸せがあるんだから。

「なのに、今は1人だよ、私。両親もいない、お兄ちゃんもいない。お兄ちゃんのご両親も居なくなったよ。寂しいよ……私もそっちに行きたいって何度も思ったよ」

 1人になってから数年、私は何度も自殺を試みた。
 カッターを手首を切ったこともあるし、睡眠薬を大量に飲んだこともあった。
 でも私は死ねなかった。

「誰もいない家なのに、どうして救急車が呼ばれるのか分からない。監視カメラが仕掛けられている訳でもないのに。もしかして、2人が呼んだの?」

 不思議なことだった。
 誰も居ない、それも深夜を狙っての自殺だったのに、すぐに呼ばれる救急車。
 それが2回も。
 気になって家中を探したけど、監視カメラとかそういう類は見つからなかった。
 以来、私は怖くなって自殺は出来なかった。
 皮肉なことだとは思う。自殺することの方が怖いことだというのに。

「安心して、今は死のうなんて考えていないから。でも、はっきりと生きる目標は無いんだ。何に興味がある訳でもない、何が楽しいってことも無い。喜怒哀楽、そういう感情が抜け落ちちゃった。ただ、その日を何も感じずに生きているだけ」

 人と会うことも億劫になり、2人が死んでから、高校には最低限の出席とテストだけ受けて、卒業式にも出ることなく卒業した。
 本当なら大学にも通いたくなかったけど、親が大学だけは出ておいてと言っていたので、家から出なくてもいい通信制の大学を選んだ。
 ただ、大学を出たとしても、今の私では就職することは無理だろう。
 きっかけがほしい。いつもそう思っているけど、なかなか自分では歩き出せなかった。

「……ごめんね、毎年愚痴ばかり聞かせて。2人も嫌だよね。本当にごめんなさい。もう、行くね」

 いつの間にか出ていた涙を拭いて、私は立ち上がった。

「じゃあ、行って来ます」

 また来年もここに来るよって意味の行って来ますを言って、私は墓石を離れた。
 途中にいた神主さんに挨拶して、雪の積もる階段をゆっくり下りていく。

「あれ?」

 下から男の人が登ってきた。
 手には花束を持って、この辺りでは少しばかり薄着な格好。
 私が疑問に思ったのは、この時期にお墓参りを行う人は珍しいと思ったから。
 神社の場所柄、お盆やお正月など以外はほとんど人が来ることは無く、私のように命日の日に来るぐらい。
 ということは、この人も誰かの命日が今日ということ。
 でもこの数年、私以外の人がこの日に神社を訪れることはなかった。

「こんにちわ」

 私に気づいた男の人が、軽く挨拶してきた。

「こ、こんにちわ」

 長らく人とあまり話したことない私は、少し緊張しながら挨拶した。
 そして、そのまますれ違う。
 そのとき、懐かしい匂いが鼻についた。
 久しく忘れていた、大好きだった人の匂いだった。

「あ、あの!」

 叫ぶように、私は男の人を呼び止めた。
 もしかしたら間違いかもしれない。
 今まで来なかったのに、どうして今頃になって来たのか。
 そんな不安はあったけど、呼び止めずには居られなかった。
 止めなかったらきっと後悔する、そう思ったから。

「……やっぱり、分かっちゃうか」

 男の人は、深い溜息をついて、ゆっくりと私の方を見る。
 顔を見たとたんに、涙が溢れた。

「久しぶり、桃子」
「お、お兄ちゃん……」

 奥村浩人さん。
 かつて、お姉ちゃんの恋人だった人との、数年ぶりの再会だった。

<続>


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