P.E.T.S[AS]

第3話「麗しの巨匠」

「ケンスケお兄ちゃん?」
「そう、片山 健介。俺の名前さ。」

ロックの背中の毛並みをなでながらお兄ちゃんは言った。

私はお兄ちゃんが貸してくれたタオルで顔を拭きながら、頭の中でケンスケという名前を何度も繰り返した。6回繰り返して何度も暗唱できるようになったことを確認してから、私はさっき自分を「襲った」相手をしげしげと眺めた。
ロックは主人にしっかり首輪をつかまれ、その動きを封じられている。私は今度こそ安心してロックを注意深く観察することができた。

「よく見てみると、ロックってかわいいね」
「よく見てみるとな」

私よりもずっと大きな体
主人と同様のたくましくそしてしなやかな筋肉
つやのある毛並みからは彼の健康状態がすこぶる良いことが容易にみてとれた。

「ねぇ。触ってもみてもいい?」

今日二度目の勇気を振り絞る。さっきの出来事も忘れて、すぐ目の前にいるロックへの好奇心がふつふつと止めどなく溢れてくる。

「ああ、かまわねぇよ」

お兄ちゃんは快く承諾した。ちゃんと押さえててね、と念を押してから、私はロックの大きな背中にそっと触った。

とても暖かかった。そのまま毛並みの方向に沿ってそーっとなでていく。ロックはこちらを見ながらも主人の言うとおりにじっと動きを止めて、されるままになっている。ロックのハッハッという息づかいとそれに応じた背中の筋肉の収縮が私の手のひらに感覚として伝わる。私と同じでそれは間違いなく、ひとつの生命だった。
そしてその様子を側で見ていたお兄ちゃんが、私にとって最高のプレゼントであろう言葉をかけてくれたのだ。

「こんなんでよかったら、毎日でも触らしてやるぜ」
「ほんと!?お兄ちゃん!」

私は手放しで喜んだ。

「やったぁ!やったぁ!ね、ロック。今日からね、みつきとロックは友達だよ!」
「なあ嬢ちゃん。俺は?」
「あ、ケンスケお兄ちゃんもね」

あははは、と二人して笑った。ロックも意味が解ったのだろうか。落ち着かない様子で再び私に飛びついてきた。

「うわっ!」

あやうくまた押し倒されそうになる。

「くぅら!ロック!ったく。目を離すとすぐこれだ……って……があああああっ!!!!」

お兄ちゃんの突然の叫び声にびっくりする。お兄ちゃんは青ざめながらしばらくの間固まり、そして私の持っているお母さんの腕時計を見つけると、血相を変えて言った。

「嬢ちゃん、今何時だ!?」
「うん、えへへ。みつきはねえ、もう時計の読み方分かるんだよ。えっとね、……7時……2分」
「やっべええええええ! 朝練もうバリバリ始まってるじゃねえか! 嬢ちゃん! 悪いけど今日はこれでおいとまするわ! じゃあな! ほら行くぞロック!」

そう言ってお兄ちゃんはロックを引き連れて猛スピードで来た道を走って戻っていった。私は慌ててお兄ちゃんに向かって大きな声を出した。

「ねえ〜!お兄ちゃーん。また明日も来てくれる?」

お兄ちゃんは振り返らずに手だけ挙げてそれに答え、そのまま走り続けた。

「あ……タオル……」

ひとつの忘れ物を残して……。

だんだん小さくなるお兄ちゃんとロックの姿を、最後まで私は見送り続けた。


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