黒猫は夏が嫌いなんです。

第1話「家に帰れば」

「んじゃ、また明日ねーっ」
「ああ、明日な」

 友人と別れ、私は自分の住むアパートの階段を上がった。部屋は2階なのだが、ここは結構歴史あるアパートなので一段一段あがるごとにぎしぎしと軋む。そんな音も住み始めて1年半ともなった今では耳に心地いい。
 鍵を差込み、まわしてあける。そして中へと返事など期待していない「ただいま」という声を上げる。

「おかえり。遅かったじゃねぇか」

 ローファーを脱ぎ、何か幻聴がきこえたなと思いつつもまず洗面台へ向かい手を洗う。

「なんだ、学校ってのはめんどくせぇな。あんなめんどくさいことをずらずらと」

 私ももうトシかと柄にもないことを考えつつ濡れた手をタオルで拭き、キッチンへ。

「それよりもずっと家にいて俺と遊んでくれよ」

 冷蔵庫をガバッと勢いよくあけ、中に入れておいたコーラをイッキ飲み(体に悪い)する。

「なぁ、沙都紀」
「なんで私の名を知ってるんだ!? いやっ、それより先にお前誰!?」

 ペットに残っていたコーラ全部を飲みきった後、私——九 沙都紀(イチジク・サツキ)は思い切り言葉を吐き出した。
私の視線の先で、猫耳に猫の尻尾をつけた長身の男は——コスプレか?——私の疑問に何故か憤慨し答えた。

「誰だと? わかんねぇのかよ、4年間ずっと一緒にくらしてたっつーのに!?」
「4年間?」

 男の不可解な言葉に眉をひそめる。そうっ、と男はさらにまくしたてた。

「俺の名前はルイ! フレイアさまの命で守護天使として転生してきたんだよ!」
「……ルイ?」

 懐かしい、名前だった。
私が8歳のとき、路傍に捨てられていた子猫を拾い渋る両親にゴリ押しして飼うことになった黒猫の名前だった。
 だがそのルイも、12歳のときの交通事故で死んだはずだった。
そのときの私の悲しみは今までにないほど涙を流し、数日間は学校にも行かず部屋にひきこもるほどだった。それほどまでに、ルイの死が悲しかった。

「嘘、だろう? どうせ同名に過ぎない……何年もかけて立ち直ったんだ、ここで思い出させないでくれ」

 悲しみを忘れるために、今まで父や叔母から多少習っていたくらいだった剣道に中学にあがってからひたすらうちこみ、大会にでたり、友達と遊んだりして必死に生きてきた。
なのに5年たった今になって再び思い出すことになるとは……残酷なもの、だった。
 ルイのことは今まで片時も忘れることはなかった。だが人の感情はいずれ風化し色褪せていくもの、悲しみもそうやって薄れていった。

「嘘じゃねぇ! 俺は正真正銘、黒猫のルイだ! これが証拠っ」

男が懐からいそいそと取り出したのは、ルイを家族で迎えることになったとき野良と間違われないようにするためにあげた青色の首輪、だった。見た瞬間、私はそれを彼の手から奪い取った。
 それについている鈴は若干黒ずんでいて、何年もつけていたのがわかった。輪の内側には8歳の私が書いた「るい」という拙い文字があった。
確かに、これはルイのものだった。そして真実、私が与えたもの。
 その事実が私の脳内をぐるぐると回り呆然とさせた。だから突然ルイと名乗る男にふわりと抱きしめられたときも、すぐには反応できなかった。

「ル、イ……?」
「沙都紀」

 彼の名前を呼ぶと、彼も私の名前を呼び返してくれた。危うく泣き出しそうになりながら、私は

「……おか、えり。ルイ」

と、彼を力いっぱい抱きしめた。ルイ——黒猫のルイは、その暖かくたくましい腕で私を抱きしめ、

「ただいま、沙都紀」

と、答えてくれた。


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