思想: 2004年8月アーカイブ

 8月6日はとうに過ぎましたが…。先週からちょっと書きたかった事なので、書いてみたいと思います。

 8月6日は言わずと知れた「広島に原爆が落とされた日」ですが、その前後日に友達数人との会話に、何気なくその原爆の話が入ってきたんですね。

 「酷い話だよね…」という声も普通に出てきたのですが、一方「まぁそれだけのインパクトがないと当時の日本軍もこりなかったんだろうけど」とか、いやまぁそんな何気ない意見も出てきた訳です。

 実を言えば、日本軍が原爆を投下される前にすでにアメリカに停戦を打診していたという話はちょいと調べればわりかし有名な話で、まぁそれを信じる信じないにしても、そういった当時の出来事を調べる機会を持ち合わせて居なければ、上述のようなポワンとした考えが浮かんでくるのもある程度仕方ない事かもしれません。

 しかし……たとえそういった知識や調べる機会が無かったとしても、原爆投下やそれに順ずる惨劇・理不尽な出来事に対して、「まぁ…それなりに仕方ない理由があったんじゃない?」と何の疑問も持たずに納得してしまっていいのでしょうか?

 原爆によって命を奪われた日本人の数は軽く10万人を超えると言われています。59年前の出来事とはいえ、同じ民族をそれだけ殺された惨劇に対し……いえ、別に原爆とは別の話だっていいんです。こういう重要な出来事に対して、その後公に敷かれた『既成事実』について何の疑いも持たずに、それを受け入れてしまうということ……これって、考えてみればとても恐ろしく、危険な姿勢ではないでしょうか。
 将来再び、そのような状況が迫り来る時に、それで対応できますか? 果たして予防できるでしょうか?

 もちろん、誰もが誰も全員、こういった出来事について調べろ! というのも無理な話だと思います。いいんです、それは。事の問題はそこじゃありません。問題なのは調べない事よりも、そういった重要な出来事についての『既成事実』を何の疑いもなく受け入れてしまう。その姿勢なのです。

 サッカー中継を見る。なんか中国のサポーターが騒いでる。「礼儀を知らない人達がいるんだなぁ」「でも日本も昔酷いことしたんでしょ?」「でも謝罪と賠償はすでに済んでいるんだよ?」「でも、罪は消えないよ! 日本はあれだけ酷いことしたのに!」
 あれだけって、どれだけでしょう? 教科書に書いてある事でしょうか? 日本の教科書、中国の教科書、他の国の教科書。内容の程度がかなり違うんですけどね。
 程度の問題ではない? お気持ちは痛いほどわかるんですが、これって凄い込み入った複雑な話なのです。

 ……いいや、この話いくと論点はずれそうなので戻りますが…。

 ええと…私の伝えたい事。分かるでしょうか? 今、世界を覆っている既成事実というものは、まるで嘘、とまでは言いませんが……政治的意図によってかなり人為的に作られています。
昔の重大な出来事に対して全て自分で調べろ! とは言いません(もちろん、調べる事で色々見えてくるのでお勧めしたいんですが…)。あまり興味の無い人、重要なのは過去ではなく未来だ、というポリシーの人、そもそも忙しくてそんな時間取れないよ、という人。その人その人の事情もあるし、それはそれでかまわないのです。
 ただし、すでにある『既成事実』に対して全く何の疑いを持たずにそれを受け入れてしまう、という姿勢は……できれば改めていただきたい…。何故なら、それを受け入れてしまうということは、その人為的な『既成事実』を貴方の受諾によってさらに強固な物にしてしまう事に手を貸す事を意味するからです。

 人間って何かにつけてとりあえず『納得』しないと落ち着かない生き物ではありますが、世の中って色々あって、色々な人がいろいろな事をやって、色々な思惑がせめぎあっているのです。よく分からなくてもいいですから、何も考えず受け入れる前に、『とりあえず保留』というスタンスを取る事もぜひ知っていただきたい…。

 世界の事実って、一人ひとりの認識によって作られるのですから…。


 と、ちょいと関連してるようであまりしていないような話ですが、先日のパウエル国務長官の『憲法9条を見直せ』発言、田中さんはこんな分析を立ててます。マジで? へぇ~……。じゃあ早く自立してくださいね日本。

 自分の国の領土に落ちたヘリの捜査もできないんじゃねぇ…。

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